akarim00のブログ

ただの日記

1.7

 

 

新年明けましておめでとうございます。

 

忙しい忙しい2018年が終わりました。

 

なんどかブログを書こうと思ったのだけど、

しばらく文章を書いていなかったら、どうも自分の気持ちを上手くかけなくなっていて

3回ほど下書きに放り込んで終わりにしてしまった。

 

2018年は今まで生きてきた人生の中で最も「変化」の多い年だったかもしれない。

 

20歳の1年は、色んな意味で僕が変わっていく1年だった。

人はこうやって変化していくんだなと。

 

気づいたら変わっていた、ではなく

変わっていくのを実感しながら進んでいた。

 

そんな一年だった。

 

いい意味で大人になったし、悪い意味で子供になったようだ。

 

自分の好きな所も、自分の嫌いな所も、2017年の10倍は多く見つけただろう。

 

人の優しさにも沢山触れた。

 

僕を支えてくれる人たちを沢山見つけた。

 

それと同時に人間の汚い部分も沢山知った。

 

悲しい事も死ぬほどあった。

 

どの一年もきっとそうなるけれど

 

今回は凄く特別な1年だったんだ。

 

 

 

———————

 

 

色んな自分と向き合った1年だった。

 

僕にとって何が1番大切なのか。

 

どうする事が今後の僕の人生にとって良い事なのか。

 

思春期の時とは違う感覚の、でもどこか似たような悩み方。

 

 

 

2018年は、

小麦粉の中にある飴玉を、顔を突っ込んで必死に探すような、

ただ、手探りで、がむしゃらに生きた年だった。

 

顔は小麦粉だらけになったけど、

未だに飴玉は見つけられていない。

 

僕は効率の悪い人間なので、日常からヒントを得て、飴玉が隠れているであろう範囲を狭めて、最小限の小麦粉だけを顔につけて、飴玉を拾い当てるというような、そんな器用な事は出来ない。

 

器用でなければ、加減も分からないし、人に頼るのも下手くそだ。

 

でも、忍耐力と精神力だけは人一倍あると勝手に思っている。

 

だからもういっそのこと、小麦粉を全部食べてしまって飴玉を探そう。

小麦粉が全部無くなれば、必然的に飴玉が見つかる。

 

という答えに辿り着いた。

 

アホだ。

 

 

びっくりするほど体力も時間も使う事になる。

 

小麦粉を食べ過ぎて窒息死しないか心配だ。

 

それでも見つけきれないでゲームオーバーになるよりは、

 

1億倍マシだと思う。

 

周りからバカにされても、時間の無駄だと言われても、生きるのが下手くそだと言われても、

もっと効率よくやれと怒られても

 

 

最終的に飴玉を見つけたら良いだけの話だろう。

 

やると決めたらやるし、

 

自分が納得する答えが見つかるまでは

 

怪我しても、何かを失っても、

 

がむしゃらに人生ぶっ飛ばそうと思う。

 

 

2019年も去年に引き続き飴玉を探すために小麦粉に顔を思いっきり突っ込んで生きていきます。

 

窒息死しないようにきっと飲み物を渡してくれる人が、ちゃんと周りにいるから、

 

その人達とタッグを組んで一生懸命生きていきたいな。

 

ブログを書き終わると決まって、

 

何が言いたかったんだろうとなるけど

 

今もやっぱりなっている。

 

でもまぁ書きたい事ただ書けたので、

 

今年も一年、よろしくお願い致します。

 

 

ばいちゃっ